弘前れんが倉庫美術館/田根剛 [アート]
田根剛
弘前れんが倉庫美術館
date. :2020年7月開館
place. :青森県弘前市吉野町2−1 /Japan
電話 :0172328950
開館時間 :9:00〜17:00
休館日 :火曜日(休日の場合は翌日に振替)、年末年始
駐車場 :近隣有料駐車場
訪問月 :2020年10月
公式HP:https://www.hirosaki-moca.jp/
GoToトラベルを利用して東北1週旅行へ。
4泊5日の旅だったけれど、GoToトラベルの恩恵を受けたのはホテル泊2日だけで、あとは車中泊でした。
走行距離1900キロだったので、燃費の悪い我が家の車では、ガゾリン代がすごいことになった。
長距離旅行はレンタカーの方がいいんじゃないかと思った。
それでもGoTo効果はすごい!ホテル代が今まで割引されることはあまりなかったし、クーポン券ももらえるんで、なんか使ってるだけで、その旅先に貢献してる気にさせてくれます。
チェックイン日と、その翌日しか使えないところもうまくできていると思う。
でも近隣の県では使えるので、使う場所がないってことにはならなかった。
そんな呑気に旅行できるのも今のうちかも…。
冬のボーナスカットという噂がちらほらと…。
そうは言っても人生1回きり。
節約して節約して、リスクをとりまくって、我慢して生きるより、好きに生きたい。
人生は過去には無くて、未来にも無くて、今にしかないから。
今を楽しめなければ、過去も未来も無い。
とはいえ、今を楽しめない時はあるし(常に経験してます…)、ある程度の人生設計の元にではあるけれど。
そんな言い訳のもとに、弘前れんが倉庫美術館に行ってきました。
設計は田根剛。
知らなかった。けど調べてみると、数々の受賞歴がある上に、フランス政府公認建築家とのこと。
最近できたNEWoMan横浜を手がけた人でもあります。
中には奈良美智のあおもり犬がいます。
青森にはやたら奈良美智氏の作品が多いと思っていたら、青森出身だそうです。それも弘前市。
この場所が、弘前れんが倉庫美術館と呼ばれる前から何度か企画展をやっていたそうで、そういった行動が、この建物を残す一因になったように思う。
この弘前れんが美術館は2020年オープンだけど、建物自体ができたのは1907年頃のこと。和暦で言うと明治40年、中国は清と呼ばれていた時代。
実業家 福島藤助が酒造工場として建てた。
当時は木造の建物が一般的で、レンガ造りなんて工期も費用もかかるけれど、かりに事業が失敗したとしても、建物が残れば必ず何かの役に立つ。弘前の将来のために遺産として役に立てばそれで良い。と言ったらしい。
こうやって、自分がいなくなった世界に名前が残る生き方に憧れる。
この後に、本当に様々な紆余曲折があったけれども、100年以上経った今、まだこの建物は残っている。
老朽化が進んでいたので、今の建築家が蘇らす形で。
田根剛氏曰く、一般的には古い建物の改修では、新たに設計する部分の素材と古い素材を対比させる手法をよく取るけれど、今回は福島藤助の意を継いで、元々あったものを残すようにしたそう。
なので今の建築基準に合うように?レンガには鋼の棒を通して強度を補強したり、老朽化したレンガの交換の際にも、既存のレンガにいかに近づけるか、何度も実験してレンガから作ったそうです。
よく見ると新旧のレンガが混ざっています。
この入口は田根剛考案の「弘前積みレンガ工法」だそう。
僕も今、モノを作る側の仕事になって思うけれど、相当大変だったと思う。
自分の持ち物ではないから、残したい人、変えたい人の意見を汲み取りながら、行政として認められるモノにしながら、建築家 田根剛としての存在感を出さなければならない。気が遠くなりそう。
事実、屋根はこの建物がシードルを製造していたという経緯からシードルゴールドにしたいという中、反射などで周辺の道路に危険はないか等、言われていたみたいです。
でも実現しているのはすごい。
おそらくだけど、当初の模型を見ると屋根は大きく庇が十分にあったのが、ほとんど庇がない作りになっています。そういった理由で庇を短くしたのかもしれない。
急に雨が降ってきた時に、凌げるところが入り口しかなかった。
全くの見当違いかもしれないけれど、そんなことを考えながら建築を見るのは楽しい。
建築家がどんどん考えを語ってくれると嬉しい。
愛犬ユールも一緒に。
マーリも一緒。
館内には入れないけれど。
田根剛氏の生まれ年を知った。1979年生まれ。若い…。
このように若くして世界に名を轟かせる人もいるのに自分は…
なんて考えずに、今を生きようと思う。
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