田舎 with ユール [ユール]
祖父母の家に行ってきた。
といっても祖父は数年前に亡くなり、今は誰も住んでいない家。
小さい頃から、お盆、正月、春休みと休みのたびに遊びに行ってた家。
初めての一人旅は電車を乗り継いでこの「おじいちゃんち」に行ったことだった。
小さい頃は、というか結構最近までただの「おじいちゃんち」だったけどデザイナーズハウスと呼んでもいいような変わった形をしてると、わりと最近になって気づいた。
今から約40年前に、それまであった築300年ぐらいの家を建て替えてできたのだそう。
真ん中がその家、左の家は離れ、右は蔵。
当時は瓦が主流の時代でこのような屋根は珍しく、形にいたっては未だに見る人によっては奇抜に映ると思う。
でも祖父は90歳になってからパソコンを始めるような、とにかく新しいモノ好きだったので、その時代の人にとってはもしかしたら眉をひそめるような家だったかもしれないけれど、大好きな家だったようだ。
人とはちょっと変わってる方がいいという僕の今の感性も祖父に近いものがあるかもしれない。やっぱり血を引いてると思うことが時々ある。
北欧家具が好きになって、現実と理想が合わさった家を考えたとき、広さがが30畳~40畳ぐらいの部屋が一つと、寝室+1部屋というのが理想。中古マンションを買ってリノベーションしたい。
そしてもうひとつの理想が、この使われていない祖父母の家を買い取り住む。ことだった。
でもこの家を維持するのには、いろんな大変なことがあって手放すかもしれないということで、今回ユールと一緒に思い出に浸りに行ってきました。
ユールはいつも初めてのとこは怖がるのに、自然が多い環境は落ち着くのかあちこち一人で探検してた。
家をぐるりと回ってみたり、庭を出て戻ってこないなと思ったら、隣の人の家の中まで入ってちゃっかり寛いでいたり。
近くには川もあるし、ユールにとっても理想の家かも。
リビングから見るこの窓の形と、遠くに見える山が好きだった。
庭にある椅子に座って、祖母が用意してくれる3時のおやつを食べるのが好きだった。
リビングの赤い絨毯が強く印象に残っている。
家にはいっぱいいろんなモノがあったけれど、それを全部持ち出すことは不可能で、しかも何か分からないモノも多い。人は死んでもモノは残ると思っていたけど、誰もが分かる価値のあるモノじゃなきゃ何も残らない。モノに依存してきた僕にとってはショックだった。死んだら何もかも無くなっちゃうんだと思うと悲しかった。
だから一つ思い出のモノを貰ってきました。
小さい頃、祖父とよく遊んだゲーム。
真ん中を除いた穴全てにビー玉を置いて、ビー玉を動かし、だんだんと数を減らしていく。言葉では上手く説明できないけど、最終的にビー玉が真ん中に一個だけ残ったら成功。
祖父は上手くていつも成功してた。嬉しそうに教えてくれる姿が温かかくて大きくて好きだった。
今度は僕がマスターしてこのゲームを伝えていきたい。
久しぶりに祖父母の家に行って、やっぱり家というのは人が住まないと荒れるんだとつくづく感じた。
庭も、畑の木もたまに手は入れていても、景色を損なうぐらい伸びてくる。
僕がいつか住みたかったけど、立地的にも厳しいし、もし実現してもそれはまだずいぶんと先の話だし、他の人に住んでもらえるのなら家にとってはその方が良いのかもしれない。
いつも祖父母は僕達が帰るとき、庭の前にたって姿が見えなくなるまで手を振ってくれてた。
いつも最後に見た「おじいちゃんち」はこのアングルだった。
といっても祖父は数年前に亡くなり、今は誰も住んでいない家。
小さい頃から、お盆、正月、春休みと休みのたびに遊びに行ってた家。
初めての一人旅は電車を乗り継いでこの「おじいちゃんち」に行ったことだった。
小さい頃は、というか結構最近までただの「おじいちゃんち」だったけどデザイナーズハウスと呼んでもいいような変わった形をしてると、わりと最近になって気づいた。
今から約40年前に、それまであった築300年ぐらいの家を建て替えてできたのだそう。
真ん中がその家、左の家は離れ、右は蔵。
当時は瓦が主流の時代でこのような屋根は珍しく、形にいたっては未だに見る人によっては奇抜に映ると思う。
でも祖父は90歳になってからパソコンを始めるような、とにかく新しいモノ好きだったので、その時代の人にとってはもしかしたら眉をひそめるような家だったかもしれないけれど、大好きな家だったようだ。
人とはちょっと変わってる方がいいという僕の今の感性も祖父に近いものがあるかもしれない。やっぱり血を引いてると思うことが時々ある。
北欧家具が好きになって、現実と理想が合わさった家を考えたとき、広さがが30畳~40畳ぐらいの部屋が一つと、寝室+1部屋というのが理想。中古マンションを買ってリノベーションしたい。
そしてもうひとつの理想が、この使われていない祖父母の家を買い取り住む。ことだった。
でもこの家を維持するのには、いろんな大変なことがあって手放すかもしれないということで、今回ユールと一緒に思い出に浸りに行ってきました。
ユールはいつも初めてのとこは怖がるのに、自然が多い環境は落ち着くのかあちこち一人で探検してた。
家をぐるりと回ってみたり、庭を出て戻ってこないなと思ったら、隣の人の家の中まで入ってちゃっかり寛いでいたり。
近くには川もあるし、ユールにとっても理想の家かも。
リビングから見るこの窓の形と、遠くに見える山が好きだった。
庭にある椅子に座って、祖母が用意してくれる3時のおやつを食べるのが好きだった。
リビングの赤い絨毯が強く印象に残っている。
家にはいっぱいいろんなモノがあったけれど、それを全部持ち出すことは不可能で、しかも何か分からないモノも多い。人は死んでもモノは残ると思っていたけど、誰もが分かる価値のあるモノじゃなきゃ何も残らない。モノに依存してきた僕にとってはショックだった。死んだら何もかも無くなっちゃうんだと思うと悲しかった。
だから一つ思い出のモノを貰ってきました。
小さい頃、祖父とよく遊んだゲーム。
真ん中を除いた穴全てにビー玉を置いて、ビー玉を動かし、だんだんと数を減らしていく。言葉では上手く説明できないけど、最終的にビー玉が真ん中に一個だけ残ったら成功。
祖父は上手くていつも成功してた。嬉しそうに教えてくれる姿が温かかくて大きくて好きだった。
今度は僕がマスターしてこのゲームを伝えていきたい。
久しぶりに祖父母の家に行って、やっぱり家というのは人が住まないと荒れるんだとつくづく感じた。
庭も、畑の木もたまに手は入れていても、景色を損なうぐらい伸びてくる。
僕がいつか住みたかったけど、立地的にも厳しいし、もし実現してもそれはまだずいぶんと先の話だし、他の人に住んでもらえるのなら家にとってはその方が良いのかもしれない。
いつも祖父母は僕達が帰るとき、庭の前にたって姿が見えなくなるまで手を振ってくれてた。
いつも最後に見た「おじいちゃんち」はこのアングルだった。
庭だいぶ痛んでるね・・・
庭のテーブルも赤い絨毯も
最後のアングルも、
印象が強いとこは一緒だね。
ビー玉のゲーム、泣きそうになった。
引き取ってくれてありがとう。
あんなに教えてもらったのに
もう忘れてしまってたよ。
おじいちゃん一回も間違えんかったな。
今度それやりに行くよ。
by 弟 (2010-07-20 21:02)
文音さん
どうもありがとうございます。
by つっちー (2010-07-21 23:32)
弟へ
庭は手入れをしてないとすぐに雰囲気変わるね。
茶畑の方の木もおじいちゃんに切ってくれって剪定やらされたことあったけど、伸びると景色が見えないし、外から家が見えなくなるんやね。剪定してるときはそんなこと考えもしなかったわ。
まずビー玉買って練習しとくわ。
いつでも寄って。
by つっちー (2010-07-21 23:38)
すごくステキですね。
リビングが特に印象的。
モノを介して
つっちーさんにも弟さんにも
しっかり残っている思い出。
素敵だなぁと思いました。
こういうふうに思い返してもらえて
きっとおじいちゃんも
喜んでいらっしゃるでしょうね。
by tomoko (2010-07-24 23:35)
+kさん
どうもありがとうございます。
by つっちー (2010-07-25 13:39)
tomokoさん
ありがとうございます。
僕もリビングが好きでした。
ほんとよく遊んでもらってたんで、思い出は尽きないです。
自分もそんないつまでも思い出してもらえるような存在になれたらなぁ。
と思います。
by つっちー (2010-07-25 13:47)
すてきな思い出、羨ましいです。
とっても、理想の「おじいちゃんち」なので。
私は、父方の祖父母と同居でしたし、
母の実家も、車で5分程度のところで。
田舎に行く!って響きに憧れてました、
といっても、生まれ育ったところ自体が、
まぁ、それなりに田舎なんですが・・・
by irie (2010-08-06 01:07)
irieさん
僕は両親とも遠かったので、正月や盆休みというのは自然と田舎に行くといった感じでした。
といっても父方は大阪なんで僕からしたら都会に行く。でしたが。
改めて考えてみると田舎に行く!って機会があったことは嬉しい思い出だなぁと気づかせていただきました。
ありがとうございます!
by つっちー (2010-08-08 22:39)